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ルドルフは「ママと同じ意見を退けるの?」と皇帝に迫りますが、ルドルフはママが政治的な意図を持っていないことを知りません・・・・・・・・・

蟄居を命じられた後で、久しぶりにウィーンに帰ってきた母に助けを求めた時に「政治の話ね」と端っから拒否の姿勢でした・・・・・・・・・

ハンガリー独立にシシィが助言したというのは、お妃教育時代の家庭教師(ハンガリー人の共和制思想家)の影響もあったでしょうが、それよりはマジャール人が乗馬に長けているから親近感があったのでは?と感じています。

政治的な意図が希薄というのは、ゾフィ皇太后がハンガリー人を嫌っているからという理由で、侍女を全てハンガリー人に変えてしまった、という点にも表れていると思います。

やっぱり好きなように振る舞うことが優先課題で、政治的信条にも縛られたくない訳で、ある意味ではルドルフが不憫です・・・・・・・・(/_;)

さぁ、今週はマテ・トート閣下です。
結婚式とかカフェでは日本語のセリフがありますね。
歌も期待していますが、どんなトート閣下になるのか楽しみです。

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王室外交時代、エリザベートがその美貌を意識したのは英国の皇后アレクサンドラ妃です。
下の絵がそのアレクサンドラ妃。
407px-ALexandra_of_Denmark_Princess_of_Wales.jpg
こちらの方は夫であるエドワード7世の浮気に悩まされ(愛人が宮廷内でどうどうと国王と過ごしていたらしいです)つつ、王妃として在位していたようです。
エリザベートのWIKIPEDIAでは、アレキサンドラ妃は極端に背が低く胴長短足で首に見にくい手術跡がある、とさんざんな書かれ方です。ですが、ビクトリア女王の在位が長かったため即位したのが57歳(1901年ですから、王妃になった時にはシシィはトートの元に去った後ですね)だったのに、30歳ぐらいにしか見えない美貌だったとか。

首の手術傷は、頸部リンパ節結核での治療のためだったようですが、これを隠すのに髪を垂らしたり、宝石のチョ-カーをしたりしたそうです。また、それがそれぞれ英国の流行になったそうですから、やはり注目の高い美貌の皇太子妃だったのですね。

もっとも夫が愛人を作るようになったのは、この首の傷を嫌ったからともいわれているようで、どこの王室も大変ですね。

シシィには素晴らしいプロポーションという武器があったようですが、それだけにその体系の維持には気を遣ったと言うことでしょうか?

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トークショウの日程が発表されましたが、今回はかすりもしませんでした(>_<)
まぁ、大きいトート閣下が登場されませんからいいんですけれど、と負け惜しみです・・・・・・

さてエリザベートの勝利の時代、宮廷外交の時代とも言えるようです。それだけにエリザベートが美貌に磨きを掛けようと努力するのも理解出来ますね。
1867年にザルツブルクでフランス皇帝ナポレオン三世との対面で、フランス皇后ウジェニーとの面会が実現します。
下がフランス皇后ウジェニーの肖像画です。この時代はフランスも第二帝政の時代なんですね。
389px-Imperatrice_Eugénie_-_Winterhalter_-_1853
美しい二人の皇后が見られると言うことで、注目を集めたということですが、王族の出ではないウジェニー皇后も気品や威厳ではエリザベートと対等に見えたそうです。とはいえ、ウジェニー皇后よりもシシィの方が長身で、並ぶとエリザベートの方に軍配が上がったとか上がらないとか・・・・・・・・・(トートでも長身がいい?)

こういう時代ですから、シシィがオレンジ一個だけで一日を過ごすというようなダイエットを続けていたわけです。
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この夏の日本橋三越で催される「輝ける皇妃エリザベート展」のポスターに選ばれた肖像画です。
20120413_1.jpg
この肖像画がいつのものかは分かりませんが、庶民の感覚だとこういう冠り物は結婚式ぐらいしか被りませんよね?
皇帝と結婚したのは16歳ですから、この表情はどうなんでしょう?

当然、自由人のシシィは宮廷の作法やしきたり・歴史も知りませんから、婚約の翌日からお妃教育が始まったそうです。勉強したことがない人ですから大変だったようです。ただし、Wikipediaによると、この時の教育係の一人がハンガリー人マイラット伯爵で共和制の素晴らしさなどを吹き込んだとか・・・・・・・多分、ハンガリーびいきの下地もこの時代に醸成されたのでしょう。エルマー達がウィーン宮廷にまで手を伸ばしていたと考えると面白いですね。

それにしても、トート閣下はウィーンのカフェでどんな顔してエルマー達の話を聞いていたのか、何を飲んでいたのか、なんて考えてしまいます。

ルドルフが生まれるのが1858年、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立(皇帝フランツがハンガリー王位に就いた年)が1867年ですから、舞台の中のエリザベートの勝利の時期って1860年代っていうことでしょうかね?(凄い昔に世界史で習いましたが、エリザベートを観ていたらもっとピンと来るようになっていたのに、と惜しまれます・・・・・まだ作品自体がなかったわけですけれど)

1870年の前後はイタリアとドイツの統一と独立がありますから、ハプスブルク帝国にとっては大変な時代になるわけです。
こう考えると、エリザベートの生涯もあまりに劇的ですが、それ以上に皇帝フランツの生涯も劇的すぎますね。ただ、性格があまりに生真面目で物語の中心に据えにくいのかも知れません。
最大の冒険は結婚相手を母の反対を押し切ってシシィを選んだことだけで、勤勉で真面目な皇帝だったのに帝国内は動乱の時代を迎えて、意に反して帝国の幕引きの役目を担ってしまう・・・・・・・・

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プログラムを買った方はご存じだと思いますが、今年の8月に日本橋三越で「輝ける皇妃 エリザベート展」が催されます。これは現在福岡三越で開催中のイベントです。
20090817_701210.jpg
見に行きたいけれど、見ると遠征したくなっちゃうからお財布が・・・・・・・・・

バートイシュルでゾフィー皇太后に歯並びの悪さと歯の黄色さを指摘されてから、シシィは人前で歯を見せなくなったといいますから(新婚初夜の明けた朝に、皇太后に歯を見せるように言われて頑として口を開けまいとしたのは、多分そのため)、どんな美貌の女性にもコンプレックスって生まれてしまうと言うことでしょうか。

シシィの全ての肖像画、写真とも口を堅く引き結んでいます。
扇で口元を隠すのもこのためですが、一幕の最後ではそれがあんなにかっこいい見得の切り方になってしまいます。

2010年公演のトークショウで禅さんが「瀬奈さんの見得を切る姿が、自分にしかよく見えないけど、凄くかっこいい」みたいなことを話していましたが、瀬奈さんのあの場面は良い場面ですよね~

後ろからトート閣下がシシィに全くシカトされつつ歌っていますが、あの登場シーンも大好きです。

これもプログラムを読んで知りましたが、世界初公開の日の新聞批評は散々だったとか。これも今となっては信じられませんが、この一幕の終わり、幕間に入った段階で成功は確実!と感じますがネ

初見では一幕の最後がかっこよくて好きでしたが(今も好き)、だんだん二幕が好きになってくると言うのが、この作品の見応えのあるところだと感じますが、そこのところは舞台をまた観ながら確認していきますので、追って書いていこうと思います。

でも、好きな作品が上演されているというだけで、生活が明るくなるようなウキウキするような、そんな感じです。千穐楽までこんな気分が続くのか、と思うと嬉しいです。

浮かれすぎて、支離滅裂な文章になってしまった・・・・・・・・(^_^;)

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Author:Dantess
舞台への熱がおさまりません。
新作も再演も気に入った舞台は、お財布と相談しながら通ってしまいます。

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