さて、昨日の予告通りにフェルディナント大公の話からサラエボ事件までを、今日は書きたいと思います。

そもそも皇帝フランツ・ヨーゼフ一世は、母である皇太后ゾフィーの勧める結婚相手を断って、その相手の妹であるエリザベートに恋して結婚にこぎ着けます。
そんな若い頃は自分の恋愛を貫き通した人なのですが・・・・・・・

甥は言い寄る世界の美女には少しの心も動かされず(ハプスブルク帝国のお世継ぎですから、妙齢の女性達が色めき立つのは無理からぬところでしょう)、誰か心に決めた人がいるのではないか、と不思議がられます。

それがある貴族の邸宅に懐中時計を置き忘れ、その裏蓋に書かれた絵から(当時は想い人の肖像を懐中時計の裏蓋に描くというのが流行ったそうです)、フェルディナント大公の意中の女性が発覚!

その相手はボヘミアの伯爵家の娘ゾフィー・ホテク嬢でした!(皇帝フランツ・ヨーゼフの母と名前が同じなのは皮肉な偶然か、良くある名前だったせいなのか、おそらくは後者です)

ハプスブルク家は格下の田舎貴族の娘との結婚に猛反対!それでもフェルディナントは折れません。
彼女以外の女性は考えられない、と・・・・・・

フランツは自分では恋を貫き通したのに、なんというか度量が狭い・・・・・・・だから、その最愛の人にも愛想尽かされたのかも知れません。
ミュージカルの「エリザベート」を観ていると、フランツに同情したくもなるのですが、実の息子ルドルフの死後のこんな分からず屋の面を見てしまうと、考え直してしまいます。

私の友人は初めて「エリザベート」を観た時からフランツが大嫌いで、この話をしたら「ほら」という感想でした・・・・・・

フェルディナントは本当に立派で、皇帝の意向も退け、ゾフィーに皇族の特権を全て認めない、皇太子妃を名乗らせない、殿下の称号も与えない、さらにゾフィーの子供には皇帝を嗣がせないという条件まで押しつけられつつ、恋を成就させ、1900年に結婚します。

普通に考えれば、老い先短い皇帝が亡くなった後、フェルディナントが皇帝になってしまえば、最高権力者ですからそんなことはどうにでもなると読んでいたのでしょうけれど。

ところが皇帝フランツ・ヨーゼフは1916年、86歳までの長寿を全うしますから、ゾフィーの冷遇は長く続きます。

フェルディナントは妻を大切にしていたので、非常に辛かったのでしょう。
サラエヴォの軍事演習後のパレードはオーストリア本国から遠く離れていて、うるさい皇帝の取り巻きもいません。
そこでならゾフィーを皇太子妃殿下としてパレードに同行させることも出来る。
ずっとないがしろにされて、嫌な思いをさせていた彼女の気晴らしになる、とフェルディナント大公が考えたとしても不思議はありません。
Franz_Ferdinand_Automobile_AB.jpg

こうしてパレード用の自動車も用意され、1914年6月28日、運命の日がやって来てしまうのです・・・・・・・

明日に続きます。

ブログランキングに参加しています。
励みになりますのでクリックをお願いします。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
Contributor
Comment
トラックバック URL
URL
このエントリーの固定リンク
トラックバック
プロフィール

Dantess

Author:Dantess
舞台への熱がおさまりません。
新作も再演も気に入った舞台は、お財布と相談しながら通ってしまいます。

最新記事
フリーエリア
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
趣味・実用
6481位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1422位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
最新トラックバック
月別アーカイブ