運命の6月28日・・・・・・

パレードには七人もの暗殺者がいたそうです。
世界大戦のきっかけになったサラエヴォ事件――といえば緊迫した話になりそうなのですが、なぜか緊張感のない話から始まってしまいます。

一発の銃声も発せられない暗殺者・・・・・・そして別の暗殺者が投げた爆弾は車の一部にぶつかって跳ね返り、護衛の者に怪我を負わせて終わります。
パレードは中止です。

・・・・・・・・普通なら、これで暗殺は失敗。世界大戦は始まらずに済んでしまいます。ところが・・・・・

一旦引き上げたフェルディナント大公夫妻は、病院に運ばれた身代わりの護衛の者を見舞うことにします。
常識的に考えれば、オープンカーから普通車に乗り換えるところが「サラエヴォには暗殺者ばかりがいるわけではありません」という市長の主張により先刻と同じオープンカーで病院に向かいます。

ところがドライバーが道を間違えてしまい、途中から戻らなくてはならなくなりバックしようとします。

さて、暗殺を失敗し、銃を撃ち損なった男は現場をぐずぐずとしていると、なんと同じ車が現場に再び現れます!
急いで車に近づいて行くと、ご丁寧に車が停車します。

こんなことってある?というくらいに悪い方に物事が連鎖していきます。
つい先ほどは幸運にも暗殺は失敗したはずだったのに・・・・・・・

暗殺者は1発目の銃弾を妊娠していたゾフィーの腹に、2発目を大公の首に撃ち込みます。
瀕死の重傷を負ったフェルディナント大公はそれでも愛妻のゾフィーを心配して声をかけます。
「ゾフィー、死んではいけない。子供達のために生きなくては」
その言葉を最期にフェルディナント大公は絶命。ゾフィーも間もなく亡くなります・・・・・・・

最期までゾフィーのことが大好きだったのですね。
時代が違えば、愛妻家で魅力的な人物だったのではないでしょうか。

1914年6月28日、時に大公は51歳、ゾフィーは46歳でした。

オーストリア帝国はこれでセルビアに宣戦布告する口実が出来たと、無理難題の最後通牒を突きつけます。
その時には誰もこれが空前の世界大戦を引き起こすことになるとも、またハプスブルク帝国を完全に滅亡させることになるとは皇帝フランツ・ヨーゼフ一世も予想すら出来ていませんでした。

一ヵ月ほどした8月、三国同盟に基づきドイツがロシア、フランスに宣戦布告・・・・・誰も望んでいなかった世界大戦が8月に始まってしまいます。この時の状況も、本で読んでも、ウィキペディアで調べてみても、もうちょっといろいろなタイミングがほんの少し狂っていれば、大戦にならなかったはずなのにというちぐはぐな展開で、サラエヴォ事件の進行のようなもたつきなのですが、・・・・・・どうしてこんなことになってしまったのでしょう?

そして、フランツ・ヨーゼフ一世は1916年11月21日に亡くなり、オーストリアが連合国と休戦協定を結ぶのが1918年11月4日です。
彼個人には幸いにして、ハプスブルク帝国の滅亡を見ることなく、この世を去ることができました・・・・・・・

舞台の「エリザベート」を踏まえて言うのなら、これもトート閣下の恨みを買った皇帝フランツの背負った宿命だったのでしょうか?

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