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モーツァルトという存在を、才能の化身アマデと人間ヴォルフとに分けて独立させて見せる、というのが、この作品の画期的なところです――と言っても見ていないと意味が分からないでしょうが。

物語を通して、アマデは才能であり、一部は良心でもある・・・・かな?
アマデは才能を発揮できることが最善なんですよね。
父の言葉を振り切ろうとするのもアマデだし、ウェーバー家を敬遠したがったり、コンスタンツェの誘惑を断ち切ろうとするのもアマデ。
これらは良心に基づくと言うよりかは、才能を発揮する邪魔だから、という面が強いかな。

悪友との交際も邪魔とかんじていたようですけれども、シカネーダとの付き合いがなければ、「魔笛」の企画はないわけですから、アマデの判断は近視眼的で見通しが正しいわけでもないです。
コンスタンツェが与えたインスピレーションがモチーフになった作品も、アマデが認めなくてもあるはずだしネ。

アマデとヴォルフの衝突は父親レオポルトの死の報に触れてパニックに陥るところが、まず思い浮かびます。
ヴォルフは錯乱しているとは言え(或いは錯乱しているからこそ、でしょうか)真実に行き当たります。
「おまえのせいで家族が引き裂かれたんだ」
ここでバルトシュッテテン男爵夫人に「金の星降る・・・・」を歌わせて、平静を取り戻させますが、アマデの才能発揮にはヴォルフが錯乱状態では困るからに過ぎない、という見方も出来ます。
別にヴォルフの身を案じているわけではない・・・・・

で、一番の問題は「魔笛」の披露の後のアマデです。
前の演出でも「MOZART」の横断幕の取り合いから、アマデとヴォルフが距離を置いたようにも見えます。
今回の演出では、アマデが五線譜を放り出してからは、台の上に突っ立ったままになります。

単純な見方としては、一幕の終わりでの「血のインク」のやりとりと対比して、「もう譜面を書くインクは一滴もないから、書けません」と五線紙を放り出してしまったとも見えます。
でも、前演出に続く対立の雰囲気は何を意味しているのでしょう?
「自分の力で書くのです」という謎の使者の言葉に、アマデと決別した、と考える見方もあるかも知れません。でも、私はアマデとヴォルフは不可分だと感じているので、身を滅ぼすような対立はないと思うのですが?

とは言え、芸術家がその創造に対する苦悩や、全身全霊を込めて作品に向き合う姿には目頭を熱くさせられてしまいます。
この作品における「アマデ」という存在を生み出した才能が素晴らしいです。

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